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[自翻]CLANNAD AFTER STORY 主创分集访谈(石原立也+志茂文彦)

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本文翻译自CLANNAD AFTER STORY  TV动画设定集。对于每一集,监督和系列构成都做出了短小的点评,从中也能找到很多有价值的观点和鲜为人知的制作秘密。
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    第1話
    監督 石原立也 コメント
    キャラクター総登場、といった感じの回です。野球の試合は原作にもあるんですけど、変えているところもあります。原作ではことみは登場していませんが、アニメでは登場させました。原作のほうは、風子が登場しているんですよ。でも、風子は第19話まで出さない方針だったので、ここでも出していません。第1シリーズでは、最終回近くまで風子を出しましたが、『AFTER』ではなるべく最後まで出さないようにしようと思っていたんですよ。なので代わりに、渚や朋也と仲良くなっていることみを出すことにしました。

    脚本 志茂文彦 コメント
    「最初に、野球はどうですか?」と、おっしゃってくださったのは監督です。今振り返ると、これはやっぱり正解だったと思いますね。野球だったら、ほとんどのキャラクターが出せるじゃないですか?半年ぶりに観た人はそれぞれのキャラクターのことを思い出してもらえますし、初めて観る人にとってはキャラクターの紹介ができるし……。前半はとにかくにぎやかで楽しい感じにして、お客さんにも喜んでもらいたいという気持ちがありましたから、いろいろやりたかったことがうまくできたと思っています。

    第1集
    导演石原立也评语
    所有角色悉数登场,有这样感觉的一集。虽然原作中也有棒球比赛,但也有变化的地方。在原作的业余棒球线中琴美没有登场,但在动画中让她登场了。原作方面,风子在棒球比赛中登场,但因为动画的方针是风子在第19集才出场,所以第一集也没有让她出现。在第一季中,风子一直出现直至快到最后一集的时候,而我想让她在《AFTER STORY》中尽可能接近最后一集才出场。所以作为代替,我决定让和渚、朋也关系很好的琴美出场。

    剧本志茂文彦评语
    “以打棒球作为开始如何?”导演这么对我说。现在回想起来,我觉得这一设计果然是正确的。如果打棒球,几乎所有的角色不就都能登场吗?不仅能让时隔半年观看的人们回想起各个角色,而且可以对第一次看的人起到介绍角色的作用……。总之,动画的前半部分要营造出热闹、欢快的感觉,也想让观众感到高兴,所以我觉得各种各样想做的事情都做得很好。

    第2話
    監督 石原立也 コメント
    この回は、幻想世界の獣がたいへんでした。原作だとテキストのみなので、獣がどういう形をしているかわからなかったんですよ。なので、最初は2本足でもっと恐い感じ生き物を描いていましたが、keyさんから「4本足にしてほしい。なんか気持ち悪いので」といったような指摘を受けまして。結果的に、羊のようなかわいらしい不思議な生き物になりました。大きさも、僕はもうちょっと大きいのかな? と思っていたんですけど、原作を読むと少女が抱っこしているような描写もあったので、この大きさになりました。

    脚本 志茂文彦 コメント
    僕、基本的に楽しい話が好きなんですよ。このへんはおもしろい展開だったので、書いていてもとても楽しめました。春原が彼女を探してさまよったり、早苗のコスプレがあったり、そういったことを思う存分できたので、観ていても楽しいお話だと思います。見どころといえば、春原がどれだけボケてくれるか? といったところでしょうか(笑)。原作だと、朋也と渚は付き合っていない状態で展開するので、アニメのほうでその点を少し修正するために頭を使った記憶はありますけど、基本的には楽しかった印象が強いですね。

    第2集
    导演石原立也评语
    这一集颇为苦恼于幻想世界的兽的刻画。原作只有文本,所以不知道兽是什么形状。所以,一开始画的是两条腿的更恐怖的生物,但是key批评“对两条腿的感到不适,希望画四条腿的”。结果,变成了像羊一样可爱而不可思议的生物。对于大小,我也觉得是否应该稍微大一点?尽管我这么想,但是读了原作之后发现有少女抱着兽的描写,所以动画做成了这个大小。

    剧本志茂文彦评语
    我基本上喜欢开心的故事。第二集的展开很有趣,剧本写着也很开心。春原为了寻找心上人而四处游荡,还有早苗的角色扮演(cosplay),这些都是可以尽情发挥的,我觉得看了也会很开心。要说本集看点是什么,应该是春原到底有多么呆萌?大概就是这样吧(笑)。在原作中,春原线是在朋也和渚没有交往的状态展开的,所以我还记得在动画中为了稍作修改而动了一些脑筋,但基本上还是很愉快的制作过程,令人印象深刻。

    第3話
    監督 石原立也 コメント
    山田(尚子:絵コンテ 演出)と堀口(由紀子:作画監督)が、共謀していろいろこだわった回ですね。本人は深くは語っていませんが、堀口がどうも、兄·妹とか姉·弟とかすごく好きみたいなようです(笑)。春原がゲームセンターでカジキマグロを弾くシーンは、最初三味線でやろうと思ったんですよ。でも、実際にそういったゲームがあるんですね。なので、それは避けました。さすがに、カジキマグロを弾くゲームはないだろうということでこれにしたんですど、いったい何をするゲームなのかわかりませんね(笑)。

    脚本 志茂文彦 コメント
    見どころは、朋也と芽衣のデートシーンに尽きるんじゃないですかね。もちろん原作にもあるんでけど、ファンに喜んでもらいたいと思いましたから。田村(ゆかり)さんの、「おにいちゃん」というあの声は、やっぱり破壊力ありましたね(笑)。年下キャラって、第1シリーズだと風子がいて、朋也と渚に面倒みてもらっていました。でも『AFTER』では、風子がずっと後まで出てきませんよね?その代わりではないんですけど、芽衣の面倒を二人で見る感じで、疑似家族的な雰囲気が出ないかなあとも考えてはいましたね。

    第3集
    导演石原立也评语
    山田(尚子:分镜 演出)和堀口(悠纪子:作画监督)女士相互合作精心制作的一集。虽然本人没有说得很深,但是堀口女士好像非常喜欢兄·妹,姐·弟的桥段(笑)。春原在游戏厅弹旗鱼的场景,在那里最初是想用弹奏三味线的场景。但是,实际上有这种弹奏三味线的游戏。所以我避开了它。我想应该不会有弹旗鱼的游戏,所以就选了这个,我不知道这个游戏到底玩的是什么呢(笑)。

    剧本志茂文彦评语
    看点就是朋也和芽衣约会的场景了吧。当然原作里也有,因为我想让粉丝们高兴,所以加入了这个剧情。田村(由香里)对朋也叫着“哥哥”,果然很有杀伤力呢(笑)。年龄较小的角色,在第一季里有风子,由朋也和渚照看着。但是在《AFTER STORY》中,风子不是很久之后才出现吗?虽然不能代替风子,但是也考虑过二人照看着芽衣,会不会营造出看上去是一家人的氛围呢。

    第4話
    監督 石原立也 コメント
    原作は、美少女ゲームというカテゴリーだと思うんですけど、男の子の友情や家族の愛情も、ちゃんと描いています。なので、朋也と春原の友情話も、アニメでぜひやりたいと思っていました。展開はわりとベタで、ラストは殴り合って仲直り。これは逆に今時あまりない展開だったので、すごくやりたかったんですよ。雨の中で殴り合うのは、アニメオリジナルです。男同士が雨の中で泥
    だらけになりながら殴り合うというのは、すごく気に入っています。やりたかったシチュエーションというか……、うん、いいじゃないですか(笑)。

    脚本 志茂文彦 コメント
    これはとにかく、春原をかっこよく描こうという話をしたのを覚えています。なかなか、かっこいいシーンに出してあげられないキャラクターなので、ここぞとばかりにかっこよくしました。チャランポランなだけじゃなく、ちゃんと妹のことを考えているところや、朋也との友情なども見どころです。朋也にいろいろ言われていますが、逆に朋也がヘコんでいるときは、春原がちゃんと見守っていたりするんです。そういう関係なんです、この二人は。もちろん、最後に早苗さんにプロポーズするボケも、忘れませんでした(笑)。

    第4集
    导演石原立也评语
    我认为原作属于美少女游戏的范畴,男孩的友情和家庭的爱情也描写得很好。因此,朋也和春原的友情故事,我想一定要做成动画。故事的展开比较庸常,最后二人大打出手地和好如初。因为这种展开反而是现在不常见的,所以非常想做这一展开呢。雨中扭打在一起是动画的原创剧情。我非常喜欢男人们在雨中浑身是泥地打成一片的场面。话说这是我想做的场景……嗯,不是挺好的吗(笑)。

    剧本志茂文彦评语
    我记得我说过要把春原刻画得很帅气。因为春原平时是很难在帅气的场景中出现的角色,所以趁此良机在这集将他帅气地刻画。他不仅是一个散漫的人,而且认真地为妹妹着想,他和朋也的友情等,也是剧情的看点。虽然被朋也说了很多,但是反过来,在朋也沮丧的时候,春原也会好好地守护着他。这两个人就是这样的关系。当然,春原最后向早苗求婚时搞笑的样子,我也没有忘记(笑)。

    第5話
    監督 石原立也 コメント
    シナリオ的には、珍しく朋也が直接体験しているお話ではありません。なので、朋也をどうやって絡ませるかをちょっと考えましたね。結果的に、朋也がいて、猫がいて、朋也の中に思い出のような何かが入ってくる。そして朋也が夢のようなものを見る。という展開にしてあります。美佐枝さんの片想いの相手·五十嵐君は、女子スタッフに不評でしたね。美佐枝さんへの冷たい態度が、良くなかったようです。僕としては、彼は彼なりに気を遣ったんじゃないかと思っているのですが、どうもそうは見えなかったようです。

    脚本 志茂文彦 コメント
    じつは、個人的に原作ではこの美佐枝さんエピソードが、特にお気に入りだったんですよ。短いし、脇筋みたいなお話なんですけど、ちゃんとまとまっていて、最後グッときますしね。だから、丁寧にやりたいなあと思いました。最初は、このお話も削ってはどうかという意見もありましたが、光の玉がここでも絡んでくるので、最終的に残ったエピソードです。風子と並んで、「奇跡」がはっきり出てくる超自然的なお話ですよね。「後々、不思議なことがあるんだよ」ということを、印象づけたかったというのもありますね。

    第5集
    导演石原立也评语
    在剧本上,很少有朋也没有直接体验过的故事。所以,稍微考虑了一下如何让朋也和剧情产生联系。结果,这一集有朋也,有猫,回忆一样的某种事物进入了朋也,然后朋也像是做了一场梦。按照如上进行了展开。美佐枝单相思的对象五十岚,在女性工作人员之中评价很坏。对美佐枝这么冷淡应该是不对的。我想他有自己的顾虑,但好像怎么也看不出来。

    剧本志茂文彦评语
    其实,我个人特别喜欢原作中美佐枝的这个小故事。虽然篇幅很短,故事也有点像次要情节,但它剧情很完整,最后一气呵成,所以我想认真地做它。一开始,有人建议把这个故事也删去,但因为在这里也牵涉到光玉,所以最终保留下来这个小故事。和风子一样,是显而易见发生了“奇迹”的超自然故事。也有想给人留下“之后还会发生不可思议的事情哦”的印象。

    第6話
    監督 石原立也 コメント
    死んだ人を思い続ける話はよくありますが、美佐枝さんはまだ若いので、それはあまりにも気の毒ではないかと。僕の好きな映画の一つに『ゴースト』があるんですが、ラストシーンが若干引っかかるんですよ。「いつまでも、君を想っているよ」と言って去っていくのは、一見美しい。だけど生きている人は、もうその人といっしょになれないわけで、じゃあそのまま一人で生きていくのか? と考えると、それはあまりにも酷な話だと思うんです。僕としては、美佐枝さんにもっと幸せになってほしかったので、あのようなラストにしました。

    脚本 志茂文彦 コメント
    志麻君の女装については、原作にもあるんですけど、これはやらんといかんだろうと思いました。男に萌えてもいいじゃないかと(笑)。個人的には、むしろ女性受けするんじゃないかと思っていました。女性キャラにいじられてアタフタしている志麻君を出したら、女性ファンは楽しんでくれるんじゃないかと。『CLANNAD』に登場する男性キャラクターって、わりと押しの強いのが多いんですが、志麻君はおとなしめというか純情というか、それまでの男性キャラクターとは違った感じだったので好きでしたね。

    第6集
    导演石原立也评语
    虽然有很多想念着亡故之人的故事,但美佐枝还很年轻,如果这么写或许显得过于悲惨?我喜欢的电影中有一部叫《人鬼情未了》,最后的场景多少有些让人耿耿于怀。说着“我会永远想着你”离开人世,乍一看很美。然而活着的人,已经不能和那个人在一起了,那么就这样一个人活下去吗?这么一想,我觉得太残酷了。对我而言,希望美佐枝更加幸福,所以做了那样的结尾。

    剧本志茂文彦评语
    关于志麻君的女装,原作里也有这一剧情,但我觉得必须要做到动画里面。被可爱的男孩子萌到不是很好吗(笑)。就我个人而言,不如说这一桥段更能被女性所接受。如果把被女性角色捉弄得手忙脚乱的志麻君表现出来,女性粉丝应该会感到开心吧。在《CLANNAD》中登场的男性角色,较为刚强的角色比较多,但是志麻君又温顺又天真,和之前的男性角色给人的感觉不一样,所以很喜欢他。

    第7話
    監督 石原立也 コメント
    いわゆる“不良”のイメージって、昔と今ではずいぶん違いますね。僕のイメージでは“番長”みたいなイメージのがあったのですが、今の若いスタッフには、ギャグにしか見えないようです。なので、不良の描き方にも紆余曲折がありました。それと、このエピソードって、智代が活躍すれば片が付くお話っぽいんです。でもそれでは有紀寧の問題解決にはなりません。なので、彼女のお話にするために苦労しましたね。僕の気持ちとしても、智代は足を洗ったと思っているので、あまりかかわってほしくなかったというのがありました。

    脚本 志茂文彦 コメント
    このエピソードでは、作品テーマの「家族」を違った視点で捉えました。劇中、「(不良たらにとって)ここ(店)がおうちみたいなもの」というセリフがあります。「家族の間では仲がいいけど、ほかのグループとはケンカする」って、ちょっと違うんじゃないかと。そこで次の回に有紀寧が「街の人たちみんなが幸せにならなければ、誰も本当に幸せになることできない」と言っています。でもじつはこれ、同じ宮沢でも宮沢賢治の言葉なんです。ちょっと有紀寧に言わせてみようと。宮沢賢治を知っている人は、気がついたかなあ。

    第7集
    导演石原立也评语
    所谓“不良少年”的印象,以前和现在大不相同。在我的印象中,不良少年是“番长”一样的头领人物,但现在的年轻工作人员只把不良少年视为笑柄。因此,对不良少年的刻画方式也经历了曲折。还有,这个不良少年的插曲,只要智代活跃起来就能解决问题,但这并不能解决有纪宁的问题。所以,为了讲述她的故事,我费了不少功夫。我的心情是,智代已经金盆洗手了,所以我不太希望她参与其中。

    剧本志茂文彦评语
    在这个插曲中,通过不同的视角把握了作品“家庭”的主题。剧中有一句台词:“(对不良少年来说)这里(店)就像家一样” 。“在家人之间关系很好,而在外和其他团体吵架”,是不是有点不一样呢?于是在下一集有纪宁说:“只有小镇里的所有人都获得幸福,每个人才能获得真正的幸福。”但实际上,同样是姓宫泽,这句话实际上是宫泽贤治说的,试着借有纪宁之口说出这句话。认识宫泽贤治的人,是否注意到了呢?

    译者注:“街の人たちみんなが幸せにならなければ、誰も本当に幸せになることできない“,原句出现在动画第七集10:50秒左右,宫泽贤治的名句没有找到。宫泽贤治在罗须地人协会讲授“艺术论”的记录的一书《农民芸术概论纲要》中,对于幸福观有类似表述:“世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない”( 在世界没有实现整体幸福之前,个人的幸福是不可能存在的)同样姓宫泽,借着宫泽有纪宁之口阐述作品的核心价值观,深化了作品的主题,将狭义的血缘关系的家族扩展为广义的人类文明的共同体,给人们深远的思考。

    第8話
    監督 石原立也 コメント
    原作には、有紀寧のお兄さんの設定画はありません。なので、不良仲間から一目置かれるようなカリスマ的存在を、どう絵にしようか苦労しましたね。顔は描きませんでしたが、どういった服装をしているか、配色とかもすごく悩みました。ほかにもストーリー展開など、有紀寧のお話は悩んだことがいちばん多かったエピソードです。シナリオもかなり書き直したので、志茂さんには苦労かけたと思います。内容的には、このお話も亡くなった人に囚われるお話ですが、有紀寧は最後にはそこから抜け出せたので、良かったと思っています。

    脚本 志茂文彦 コメント
    学園編はこれが最後なので、お遊びとして『Kanon』の秋子さんが作る「謎ジャム」を登場させました。食べると逝ってしまうほどの味なんですけど、それを早苗さんの作ったパンに塗って食べるという(笑)。『Kanon』と『CLANNAD』の世界が同じなのか、秋子さんと早苗さんが友達なのかわかりません。でも観ている人が、「ひょっとしたら、そういう可能性もあるんじゃないか?」と思ってくださり、喜んでもらえたらいいなと。Keyさんのほうで「これはちょっと」と言われたら、すぐやめるつもりでしたけどね(笑)。

    第8集
    导演石原立也评语
    原作中并没有有纪宁哥哥的设定。因此,如何画出能让不良伙伴对其刮目相看的超凡魅力的存在,着实费了不少功夫。虽然没有画脸,但是对于穿什么样的服装,配色什么的也很苦恼。此外故事如何展开也是有纪宁剧情让人烦恼最多的一件事。剧本也修改了很多,所以我觉得让志茂先生吃了不少苦。从内容上看,这个故事也是被已故之人囚禁内心的故事,但有纪宁最终振作起来,我觉得这样很好。

    剧本志茂文彦评语
    因为是学园篇的最后部分,所以作为乐趣,让《Kanon》的秋子阿姨制作的“谜之果酱”登场。虽然是一吃就会逝世的味道,但大家还是把它涂在早苗做的面包上吃了(笑)。我不知道《Kanon》和《CLANNAD》的世界是否是同一个世界,秋子和早苗是不是朋友。但是对于观者而言,会想“说不定也有这种可能吧?”,如果能让人们高兴就好了。我本来打算听到Key那边说“这个有点不好”的话,就会马上停止(笑)。

    第9話
    監督 石原立也 コメント
    原作だと、渚ルートがここで終わります。この次からが、本当の『AFTER』。その前に、幸村先生の話とか、もっといろんなエピソードを入れたかったんですけど……。お話的には、このあたりから朋也の弱さが見えてきます。第1シリーズの第18話で渚が倒れたときも、朋也はかなり落ち込みましたが、あのあたりから、渚がいない朋也が今後の展開に大きな意味を持ってくるので、少しずつ描いています。ラストは、音響監督の鶴岡(陽太)さんが音楽をうまく付けてくれたので、盛り上がってすごく良かったですね。

    脚本 志茂文彦 コメント
    この回は、全編沈んだ感じにはしたくなかったんですよ。だから、ボタンにもがんばってもらって明るいシーンを入れたり、周りのみんなが朋也の気持ちを引き立てるよう努力している感じにしました。朋也もそれをわかっているんだけど、どうしても渚が心配だという……。そんなコントラストにしたいと思いながら書きました。春原が芽衣のことで悩んでいるときは朋也がフォローし、朋也が渚のことで悩んでいるときは春原が見守ってなにか言ってくれる。その関係を、ちゃんと描きたかったというのもありましたね。

    第9集
    导演石原立也评语
    原作的话,古河渚线到这里就结束了,接下来是真正的《AFTER STORY》。在那之前,我想加入幸村老师的故事和更多的插曲……。在这集可以看出朋也的软肋所在。在第一季的第18集中,渚倒下的那段时间,朋也感到非常沮丧,但是从那时候开始,渚不在朋也身边,对于今后的展开有很大的意义,所以一点点地进行了描写。最后,因为音响监督的鹤冈(阳太)先生很好地加上了音乐,将剧情推向高潮,非常地好。

    剧本志茂文彦评语
    这一集不想让人觉得全篇都很沉闷。所以,我决定加入了牡丹也在做着努力的开朗的场景,写出周围的大家都在努力使朋也振作起来的感觉。朋也知道这一点,但无论如何还是挂念着渚……。我一边写着,一边想形成这样的对比。春原因为芽衣而烦恼的时候朋也会伸出援手,朋也因为渚烦恼的时候春原也会守护着他给他支持的话语。我也想要好好地描写那种关系。

    第10話
    監督 石原立也 コメント
    今まで、あまりパン屋さんらしいところを見せなかったので、ここで日常風景を入れました。演出の山田が、フランスパンが焼けるとき割れないよう、生地にカミソリでスジを入れる場面を加えてくれたおかげで、わりとパン屋っぽくなったと思います。このあたりは僕も、やっと原作の『AFTER』に入ったということで、新鮮な気持ちでした。朋也が仕事で苦労しますが、彼はそれでも恵まれていると思いますよ。今の世の中、仕事を見つけるだけでもたいへんじゃないですか?それに比べたら、かなり恵まれていると思いますよ。

    脚本 志茂文彦 コメント
    朋也がパン屋の手伝いをしているシーンですが、できることならこのへんは丁寧に描きたかった。これだけで1本やりたかったくらいです。でも、展開を早めるとしたら、ここぐらいしかないかなあと思い、サラッと終わらせています。そのほかの見どころは、原作にはない藤林姉妹の登場ですね。卒業してからもつながりはあり、朋也に影響をおよぼしているということを書きたいと思って……。杏は目立ちますけど、椋のほうは『AFTER』になるとどうしても見せ場が少ないので、物件情報を教えるシーンを追加しました。

    第10集
    导演石原立也评语
    到现在为止,因为没怎么展现面包店的样子,所以在这一集加入了日常风景。负责演出的山田女士为了让法式面包在烤的时候不会碎,加入了用剃刀在面团上划筋的画面,我觉得这样就比较像面包店了。在这集,也终于进入了原作《AFTER STORY》,令人感到新鲜。虽然朋也在工作上很辛苦,但是我觉得他还是很幸运的。当今社会的人们,仅仅是找到工作就已经非常不容易了吧?相比之下,我觉得他很幸运。

    剧本志茂文彦评语
    如果可能的话,我想仔细地描绘朋也在面包店帮忙的场景。光是这样的剧情我就想做一整集。但是,如果要加快展开的话,就只能做到这种程度了,于是就干脆地结束了。另外的看点是原作中没有的藤林姐妹的登场。我想写即使她们毕业了也和朋也联系,并对朋也产生影响的事……。尽管杏十分引人注目,但椋在《AFTER STORY》里无论如何精彩的场面都较少,所以我追加了椋告诉朋也租房信息的场景。

    第11話
    監督 石原立也 コメント
    裏話的なことを言うと、渚が通学している途中、のちにファミレスになる場所の工事が始まっているというのを、ここでちょっと描いています。朋也のネームプレートは、最初手書きで応急措置的な物なんですけど、最後みんなと同じ
    物が提げられます。これで会社の一員になれたということを、ビジュアルで見せられたらと思い、やりました。電気工事のシーンは苦労しましたね。ちょうど、うちの会社が新社屋を建てていたので、そのとき電気工事のかたが作業しているのを、写真やビデオで撮らせてもらったりもしたんですよ。

    脚本 志茂文彦 コメント
    第10話の続きで、初めて社会に出たとき、誰にでもあることを描きました。会社に入って、失敗して、先輩にフォローしてもらいつつ、くじけず自分で精一杯のことをやって、初めて認めらえるそういったことが、原作できちんと描かれていたので、これはやらねばと……。それと、これは僕の頭の中だけの話ですが、創立者祭での渚は、智代や有紀寧がまだいるので、そんなに寂しくなかったと思いたいですね。彼女たちも「岡崎さん、遅いですね」とか言いながら、心配してくれたり……。そんなことを勝手に思っていました。

    第11集
    导演石原立也评语
    说些不为人知的事,渚在上学的途中,有一个今天将成为家庭餐厅的工地开始施工,我对这里稍微做了描绘。写着朋也名字的挂牌,最初是手写的用于应急的东西,但最后获得了和大家一样的正式工的挂牌。我想,如果能让朋也成为公司的一员这一变化以可视化的形式展现,那就达到了目的。描绘电气工程的场景费了很多工夫。不过刚好,我们公司新的办公大楼正在修建,那时电工正在作业,我们还拍了照片和录了像。

    剧本志茂文彦评语
    在第10集的下一集第11集中,描写了刚踏入社会时每个职场新人都会遇到的事情。进入公司后遇到了失败,而在前辈的帮助下,不气馁地竭尽全力工作,第一次获得人们的认可。因为原作中对这些情节有很好的描写,所以我觉得必须做进动画里面……。另外,这只是我的一个想法,创立者祭上的渚,因为智代和有纪宁还在,所以我想她应该不会像原作中那么寂寞。她们也一边说着“冈崎君,迟到了呢”,一边感到担心……。这是我的一个随意的想法。

    第12話
    監督 石原立也 コメント
    前半の公子さんには、バス停で「まだ音楽は、続けてる?」というセリフまで、一切しゃべらせませんでした。このセリフをすごく印象づけたかったんですよ。顔もそれまで意識的に見せないようにして、このシーンで初めてちゃんと見えるようにしています。後半は、個人的にも好きな原作のエピソードです。ただ、原作にあった、朋也がお父さんの逮捕前に会いに行く話は抜いています。アニメの構成だと、逮捕の前フリのように見えてしまい、どうしてもショックの大きさがうまく伝わらないんですよ。

    脚本 志茂文彦 コメント
    怒濤の展開でしたね。芳野の過去を入れなければもう少しゆとりがあったのですが、やっぱりこれも重要で、芳野も広い意味では家族の一員なので、やっぱりはずせないと思い、このかたちになりました。直幸については、原作をやっていてもちょっとビックリでした。「ここで出てくるのか!?」って感じでした。その後、渚が「この街を出るときは、前向きな気持ちじゃないとダメです。でないと、ここは帰ってくる場所じゃなくなってしまいます」と言うシーンがありますが、このへんから街への想いがだんだん深まってきています。

    第12话
    导演石原立也评语
    前半部分,伊吹公子在公交车站问芳野“你还在坚持着音乐事业吗?”,这一台词之前,没有一句对白,因为我想这个台词给人留下深刻的印象。我也有意识地一直不让观众看到向芳野走来的人的脸,直至说出那句台词的场景才让观众看清。后半部分是我个人也很喜欢的原作中的插曲。但是,原作中朋也在父亲被捕前去见他的故事去掉了,动画的结构上看不出来逮捕前的铺垫,不管怎样都无法很好地传达这一打击的强烈程度。

    剧本志茂文彦评语
    真是惊涛骇浪般的展开。如果不把芳野的过去的剧情放进去,这一集就会稍微宽松一些,但我想毕竟他的故事也很重要,从广义上来说,芳野也是家族的一员,所以还是不能去掉,所以就有了这一形态。关于直幸,我在玩原作游戏的时候也有点惊讶。有着“这一剧情竟然在这里出现?!”的感觉。之后,渚说“在离开这座小镇的时候,我们一定要积极地离开。要不然,这里就不是我们能回来的地方了”,从这一场景开始,逐渐加深了对这座小镇的感情。
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    第13話
    監督 石原立也 コメント
    ここでのこだわりの一つは、朋也と渚の結婚指輪ですね。二人はここで初めて指輪をしますが、早苗さんや秋生さんなど、ほとんどの既婚者には指輪をさせています。僕自身未婚なので、結婚指輪をしている人を見ると、ちゃんと家庭を持っているということであこがれますし、「あ、すごいな」って思う部分があります。人間って、家庭を持ってこそ一人前だと思っているので……。そういった大人の責任を、ビジュアル的な象徴としてここでは描いています。このことは、第1シリーズの第1話からずっと意識していたことですね。

    脚本 志茂文彦 コメント
    この回は、朋也もいいけど早苗さんがいいですね。決してキツイ調子ではないんだけど、母親として娘にしっかり諭すところがいい。このシーンでちょっと工夫したのは、渚がその場を完全に立ち去らず、ずっと見つめていることにしたところです。また渚の卒業式には、みんなが来てくれて、みんなとつながっているところも描けたんじゃないかと……。このへんは、朋也が生活の重さを感じて、どうしても身につまされてしまうんですけど、秋生さんや春原が出てきてくれたおかげで、明るく描くことができたと思っています。

    第13话
    导演石原立也评语
    在这一集认真刻画的地方是朋也和渚的结婚戒指。二人在这集首次戴上结婚戒指,早苗、秋生几乎所有的已婚者都戴了戒指。因为我自己未婚,所以一看到戴着结婚戒指的人,就会憧憬他们有一个完整的家庭的生活,而且会觉得“啊,真厉害呢”。因为我觉得只有组建家庭,一个人才能独当一面……。我以结婚戒指作为视觉象征,来描绘这种成年人所肩负的责任。我从第一季第一集就有意识到这一点。

    剧本志茂文彦评语
    这一集,朋也也很好,早苗也很好。虽然她的语气并不严厉,但作为母亲很认真地教导女儿,这样很好。渚没有完全离开现场,而是一直注视着朋也,我在这个场景下了一点功夫。另外在渚的毕业典礼上大家都来了,这样是否也能刻画出她和大家的联系呢……。在这集朋也感受到了生活的沉重,而且无论如何都无法摆脱,但幸亏秋生大叔和好友春原的出现,为剧情的描绘增添了明朗。

    第14話
    監督 石原立也 コメント
    この回は、ある意味、最後の幸せな回といった感じです。ファミレスには、渚とともに仁科と杉坂が働いていますが、なぜ原作では登場しない杉坂がいるのか?じつは僕、勘違いしていまして、第16話でお正月にみんなが会うとき、原作だと仁科と杉坂が来ているんですよ。だから、ファミレスのほうもてっきり杉坂が働いているイメージがあったんです。でもよく見ると、原作では仁科しかいませんでした。なので勘違いなんですけど、まあ杉坂のこと、好きだからいいか……、ということで登場させています(笑)。

    脚本 志茂文彦 コメント
    見どころは、なんといっても渚のウェイトレス姿ですね。ここで渚にあの服を着せるために、第1シリーズの風子エピソードの際、創立者祭でウェイトレスをするという話を置きました。あの経験があったので、今回もアルバイトをやってみようというつながりですね。それと僕の頭の中では、ファミレスでの渚はかなり信頼されていたと思っています。あそこでも、演劇部を作ったときのようなドラマがあったんじゃないかと。そして渚なりにしっかりやってきたので、みんなと信頼関係が築けたんじゃないかと思っているんですよ。

    第14话
    导演石原立也评语
    从某种意义上来说,这一集是最后的幸福的一集。在家庭餐厅里仁科和杉坂和渚一起工作,为什么会有原作中没有登场的杉坂呢?其实是我搞错了,在第16集新年大家聚会的时候,原作里仁科和杉坂都来了,所以给我留下了杉坂也在家庭餐厅工作的印象。但仔细一看,原作里只有仁科在家庭餐厅工作。所以我弄错了,但不管怎样我喜欢杉坂,这样就能说得通吧……,所以我让她登场了(笑)。

    剧本志茂文彦评语
    这一集的看点无论如何都是渚的女服务员的样子。在这里为了让渚顺理成章地穿上那种衣服,在第一季的风子的支线中,加入了渚在创立者祭中当服务员的故事。因为渚有过当服务员的经验,所以这次也想在尝试这样打工。而且在我的印象中,家庭餐厅里的渚是相当受人信赖的。那里是不是也会上演像成立话剧社时那样的戏剧呢?我想也许正是因为渚认真地做事情,才和大家建立了信赖关系。

    第15話
    監督 石原立也 コメント
    原作だと、赤ちゃんができて幸せですねってところで、名前を考える展開です。でもアニメでは、赤ちゃんを産むと渚の身体が危ないかもしれないと知ったあとで、この名前を考えています。そのため、名つけについてすごく意味合いが変わってきています。二人は、自分たちの運命をちょっと悟っている感じにもなっていますね。
    助産師の八木さんには、モデルがいます。このかたは、すごくパワフルな女性でした。なので、八木さんもそんな感じの人にしています。

    脚本 志茂文彦 コメント
    出産というのはすごくデリケートなテーマなので、軽々しく描けませんでした。たまたま、京アニさんに出産を済ませたばかりのスタッフさんがいたので、その人にお話を聞いたりして、原作を多少変えながら書きました。死ぬのがわかっていながら子どもを産もうとする渚、という描き方にはしたくなかったんです。周りもそれを認めているわけではなく、最善のことはしているんだけど、たまたま運悪くいろんなことが重なって、不幸な結果になった、というふうに描いたつもりです。やっぱり、このあたりは難しかったですね。

    第15话
    导演石原立也评语
    原作中,在渚怀上孩子的幸福的时候,才开始考虑孩子的起名。但是在动画里是在没有怀上孩子,预先知道生孩子有可能对渚构成生命威胁,考虑起的这个名字,因此名字的含义相比原作发生了很大的变化。二人好像隐约地感觉到自己的命运。
    动画中的助产士八木女士,在现实中有原型,是一位非常有力量的女性。所以,八木女士也是有那种感觉的人。

    剧本志茂文彦评语
    因为生育是非常敏感的主题,所以无法轻松地描绘。碰巧京阿尼有个刚生完孩子的工作人员,我就问了她生育孩子的事情,对原作进行了一些改动。我不想描写成明知道会死还想把孩子诞下的渚,这样做也不会得到周围人的认可。我想描写的是,虽然做了最好的准备,但碰巧运气不好,各种事情叠加在一起,导致了不幸的结果。果然,在这方面难度很大。

    第16話
    監督 石原立也 コメント
    原作では、芳野さんのCDのタイトルを、朋也と二人で考えるくだりがあります。けっこう楽しい展開だったので本当はやりたかったんだけど、結局アニメではやりませんでした。まあ、そういうやり取りがなされていたと思ってくださるといいんですけど……。後半の赤ちゃんの描写は、いわゆるアニメに出てくるかわいい感じではなく、ちょっと赤黒くしているんですよ。髪の毛も薄く描いたつもりなんですけど、若干生きえているようにも見えますね。

    脚本 志茂文彦 コメント
    この回は、きつかったですね……。最後に朋也が、「出会わなければ良かった」と言いますが、それは今後のキーワードになります。今まで、楽しいこともいっぱいあったけど、最終的にこんなことになるんだったら、出会わないほうが良かったんじゃないか?と、自分の今までの人生を否定してしまうわけです。お話としては、このことが朋也が乗り越えるべき大きな試練として設定されたわけです。お話としては、すごく大事なところですね。人間、生きていると、ときどきそういうふうに思ったりすることもありますよね?

    第16话
    导演石原立也评语
    原作中,关于芳野的CD的标题,有和朋也一起想的一部分剧情。因为是相当愉快的展开,其实我也想做,不过最终动画里没做。嗯,要是能把这一段对话做出来就好了……。后半部分对婴儿的描写,不是一般动画片中的那种萌萌的感觉,而是稍微黑红色的样子。虽然我打算把婴儿的头发画得很少,但看上去是保留了一些头发。

    剧本志茂文彦评语
    这一集很辛苦啊……。这集最后朋也说到:“要是我们没有相遇就好了”这句话将成为今后的关键词。到现在为止经历过很多快乐的事,但如果最终是这样的结局,不相遇难道不是更好吗?这样一想,就会对自己至今为止的人生彻底否定。作为故事,渚的去世被设定为朋也应该克服的试炼。作为故事来说,这是非常十分重要的地方。生而为人,有时也会产生这样的想法吧?

    第17話
    監督 石原立也 コメント
    本当は最初、朋也の気持ちを表現するために、かなりのシーンをモノトーンでやろうかと思ったんですよ。アバンのところでモノトーンにしたのも、そういう意味合いがあります。そして汐が出てきたところで、カラーにしようと思いました。でも朋也の気持ちとしては、汐が出てきたから気持ちが晴れるというわけではないので、そういった演出はあきらめました。汐に再会する前、渚の部屋を見たとき、ちょっと陽が陰ります。そして汐を見たときにちょっと日が
    差す、というような感じの演出はしているんですけど。

    脚本 志茂文彦 コメント
    渚がなくなってしまったのはとても悲しいんですけど、やっと汐が出てきてうれしいという回でもあります。京アニさん内で、石原監督が汐の初登場シーンについて、スタッフさんに指示しているところをたまたま見たんですよ。そのときはちょうど、光の効果的な当て方についての指示で、それだけでも「ああ、すごいな」と思っていたら、さらに「ここをこうしたら、もっと良くなるよ」と言って、本当にもっと良くなってですね。もう、驚きでした。演出って、こういうものなんだとわかった思い出深いシーンでもあります。

    第17话
    导演石原立也评语
    其实一开始为了表现朋也的心情,相当多的场景都是单调色的。在动画中OP前的部分采用单调色,也是有这个意味的。我本想汐出现的时候变成彩色的场景,但是朋也的心情并不会因为汐的出现一下子就能变好,所以放弃了那样的演出。朋也再次见到汐之前,渚的房间看上去有点像笼罩在阴影中,而看到汐的时候,阳光重新照射进了屋子,我演出了这样的场景。

    剧本志茂文彦评语
    虽然渚的去世让我非常悲伤,但汐最终的出现让我很高兴。在京阿尼的办公室里,我偶然看到石原导演对于汐的第一次登场的场景,向工作人员做着指示。那个时候,正好是关于光的有效照射方法的指示,仅仅是这样我就觉得“啊,这样好厉害呢”,他接着又说“如果将这里这样做的话,会变得更好呢”,场景真的变得更好了,真是太让人吃惊了。我明白了演出原来是这样的,这是一段让人记忆犹新的场景。

    第18話
    監督 石原立也 コメント
    岡崎史乃のシーンは、声をやってくれた麻生美代子さんが、すごく良かったですね。ご本人も、すごくステキなかたでした。演出は高雄(統子)という者がやっているんですけど、朋也と汐の心の距離感を、目線などで注意して表現したとのことです。朋也がしゃがむことで汐と目線が同じになり、一瞬心が近くなるんですけど、また離れたりとか……。そうやって、二人の心が少しずつ近づいていって、最後の抱き合うシーンとなります。このシーンは、ファンのかたもそうだと思うんですけど、僕もいちばん好きなシーンですね。

    脚本 志茂文彦 コメント
    第17話と第18話は、お話をどう配分するか苦労した記憶があります。普通だと、3話分くらいほしいんですよ。でも全体のバランスを考えると、やっぱり今のかたちが良かったと思います。それと最初、史乃のシーンは短かったんですが、keyさんから「このシーンは、たっぷりやってほしい」とのオーダーが入ったので、絵コンテの直前に、僕が他のシーンを削除した記憶があります。結局、ロボットのオモチャはどこに行ったのかについては、観る人がそれぞれに答えを出していただければと思っています。

    第18话
    导演石原立也评语
    冈崎史乃的场景中,这个角色由麻生美代子进行配音,效果很好。她本人也是个非常优秀的人。由高雄(统子)进行演出,在视线等方面留心,表现出朋也和汐心灵的隔阂。而因为朋也蹲下来会和汐的视线相交,一瞬间将二人心灵的距离拉近,但是之后又会分开……。就这样,两个人的心一点点靠近,直到最后二人相拥的场景,距离感彻底地消失。这一场景,我想粉丝们也是这样想的,也是我最喜欢的场景。

    剧本志茂文彦评语
    我记得在第17集和第18集的时候,为了如何分配故事的篇幅而吃了不少苦头。一般来说,我想要三集左右的篇幅。但是考虑到整体的平衡,我觉得还是现在的形式比较好。还有,一开始,史乃的场景很短,但key要求“这个场景,希望能够充分地演出来”,所以记得在这个分镜之前,我把其他多余的场景都删掉了。最终,机器人玩具去了什么地方,希望观众能各抒己见地给出答案。

    第19話
    監督 石原立也 コメント
    朋也がお父さんを見送っていますが、僕自身の考えとしては、彼がおばあちゃんの話を聞いたからといって、全面的に父を許すといった、簡単な問題ではないと思っています。自分も子を持って、ちょっとは父親の気持ちがわかるようになった、ぐらいなんじゃないでしょうか? でも、それで十分だとも思っています。原作では、朋也と直幸が二人っきりで語っていて、絵的に親子対決みたいで好きでした。あえて汐を登場させたのは、朋也が大人になったことを直幸が確認する際、汐がいたほうが説得力があると考えたからです。

    脚本 志茂文彦 コメント
    朋也がお父さんの所へ行くとき、汐を連れて行くか、監督とちょっと相談しました。最終的にはいたほうがいいということで、連れて行っています。さらにここで、光の玉が出てきます。汐と街の関係についてもいろいろなとらえ方がありえると思うんですが、やはり渚と街の関係まで遡って考えるべきでしょうね。渚が子どものころに死にかけたとき、この街となんらかの不思議なつながりができ、それが汐にも受け継がれている……のでは? ということですね。ほかにもこの回は風子が久々に登場して、個人的にはうれしかった回ですね。

    第19话
    导演石原立也评语
    在这集朋也目送着父亲离开,但就我自己的想法来说,这并不是因为朋也听了奶奶的话就能够完全地原谅父亲那么简单。因为朋也自己也有了孩子,多少能理解父亲养育自己时的情感吧?但是,我想这样就足够了。原作中只有朋也和直幸两个人说话,画面上就像父子对决一样,我很喜欢这个场景。而之所以特意让汐登场,是因为直幸在确认朋也长大成人的时候,有朋也的女儿汐在场会更有说服力。

    剧本志茂文彦评语
    关于朋也去父亲那里的场景,我和导演稍微商量了一下是否应该带着汐一起去。最终还是觉得汐在场比较好,所以动画中是朋也带着她去看父亲。在这里,还会出现一颗光玉。关于汐和这座小镇的关系,我想人们也有各种各样的理解方式,但还是应该追溯到渚和小镇的关系。渚小时候濒死的时候,和这座城市产生了某种不可思议的联系,汐也继承了这种联系……应该是吧?就是这个意思。另外,这一集风子久违地登场,我个人而言感到很高兴。

    第20話
    監督 石原立也 コメント
    サブタイトルは、けっこうグッドですね。(笑)。パッと見、なんのことかわからないと思うんですけど……。風子の意味深な発言、「匂いまで記憶したので、近くにいたらわかります」という言葉。これも考え始めると謎がありまして。今このルートの風子は、汐が死んでしまうルートの風子しゃないですか? だから、最終回の風子は別ルートの風子なので、ここの風子とは違うはずなんですよ。そうなると、彼女が匂いを覚えているっていうのは、どういうことなんだろうと……。まあそのへんは、みんなで考えようということで(笑)。

    脚本 志茂文彦 コメント
    杏やボタンも、待ちに待った再登場。杏は朋也のことをずっと心配していたはずだし、もちろん渚のお葬式にも出ているはずなので、そのへんを匂わすセリフを足しています。後半は風子が登場して、かなり楽しい感じになりました。原作のゲームをプレイしているとき、このまま杏と幸せになるのかな? と思いながらやっていて、まさか汐まで同じ病気で倒れるとは思わなかったので、どうなっちゃうんだろうとハラハラしたんですよ。アニメを観ている人にも、そのハラハラ感が伝わればなあと思って、書いていましたね。

    第20话
    导演石原立也评语
    副标题相当地Good呢。(笑)。但是乍一看,不知道是怎么回事……。风子意味深长地说:“风子已经记住了她的气味,只要在附近,风子就会知道。”对此我开始思考着一个谜题。现在这条线上的风子,就是汐去世的那条线上的风子?所以,最终回的风子是其他分支的风子,应该和这里的风子不一样。那么这么一来,她还记得汐的味道,这是怎么回事呢……。这个嘛,给大家想象的空间 (笑)。

    剧本志茂文彦评语
    杏和牡丹让人们等了又等,终于再次登场。杏应该一直担心着朋也,当然也应该参加了渚的葬礼,所以加上了带有这方面暗示的台词。后半部分,风子登场了,感觉相当开心。玩原作的游戏的时候,我一边玩一边想,“就这样和杏在一起,就能获得幸福吧?”没想到汐也会因为同样的病倒下,我不知道病情会变成什么样,心里忐忑不安。我希望动画的观众也能感受到同样的担忧,所以写了下来。

    第21話
    監督 石原立也 コメント
    この回は、第16話同様、精神的にすごくきつかったですね。演出の北之原(孝將)も子持ちなので、やっていてつらかった思うんですけど……。朋也に対しては、もうちょっとやりようがあったのでは? と思います。ただこのあたり、汐が自分の運命を悟っている感じがあって、朋也もそれを悟った感じがあります。ほかにも彼は、汐を病院に連れていっても治らないことも薄々悟っているので、結局こういう展開になってしまうのかもしれません……。ラストシーンの色味は、第1シリーズの冒頭と合わせてあります。

    脚本 志茂文彦 コメント
    仕事を辞めざるをえないとか、お金の問題とか、けっこうリアルですよね。じつは僕の周囲でも、最近知人が相次いで失職しているので、他人事とは思えないです。行政の支援を得るのも難しいとか、かといって家族に頼ると共倒れになりかねないとか、シビアな話を聞きます。やさしい街ということなら、住人が困ったときに支援してくれるのが良い街なんじゃないかと思います。これは自分への心覚えとしてですが、街や地域社会をある程度リアルに描く際には、そういうことも頭に置いたほうがいいかも、などとも思いました。

    第21话
    导演石原立也评语
    这一集和第十六集一样,让我精神上非常痛苦。这集的演出北之原(孝将)因为也有孩子了,所以做起来应该很痛苦吧……。我想对于朋也,是不是还有别的选择呢?不过在这一点上,汐也有领悟到自己命运的感觉,朋也也有领悟到这种宿命的感觉,而且,他也隐约地意识到,即使带汐去医院也治不好她的病,所以结局可能就是这样不幸的展开……。另外,最后一幕的画面色调,和第一季的开头是一致的。

    剧本志茂文彦评语
    这集朋也不得不辞职,钱的问题是相当现实的问题。其实在我周围,最近也有很多朋友相继失业,所以我不觉得这是与己无关的事。我听别人说,失业者很难获得行政机关的救济,但如果依赖家人,可能会互相受伤。谈及什么是温柔的城市,我认为在居民有困难的时候能够提供帮助的才是好的城市。虽然这只是我自己的想法,但我想某种程度上,在描写街道和社区时,或许把这一点放在心上会比较好。

    第22話
    監督 石原立也 コメント
    ラスト直前の風子と公子のくだりは、すごく重要なシーンだと思っています。あのシーンがあるからこそ、『CLANNAD』という物語は終結しているのだと思います。そして風子が汐を見つける展開が、すごく良かったんですよ。あれがあったから、石原的に原作は名作となりました。風子と汐が出会うためにこの作品をやってきたと言っても過言ではないです。ラストのシーンは、『AIR』の最後、男の子と女の子が去っていくときぐらい、大好きなシーンですね。

    脚本 志茂文彦 コメント
    ラスト直前の風子と公子の会話シーンは、普通だったらカットするところなんですが、石原監督が「これは、なにかやっぱり大事なことのような気がするから、このまま残しておきましょう」ということで残したんですよ。あれ、不思議ですよね。やるとやっぱり、これで正解だと思えるんですよ。たわいのない話をずっとしているだけなんですけど、なんか良い助走というか、ラストに至るまでのちゃんとしたアプローチになっている感じです。こういったところが、key作品の醍醐味の一つなんじゃないかと思います。

    第22话
    导演石原立也评语
    我认为本集结局之前,风子和公子的对话是非常重要的场景。正因为有了那个场景,《CLANNAD》这个故事才得以圆满地结束。风子找到汐的展开非常好。正因为有了这一设计,石原风格的原作才成为了名作。即使说是为了最终风子和汐的相遇而创作了这部作品也不夸张。最后的场景,是和《AIR》的最后,男孩和女孩一同离开一样的,我最喜欢的场景。

    剧本志茂文彦评语
    一般情况下,最后风子和公子的对话场景应该剪掉,但石原导演说:“我觉得这还是很重要的,就这样保留下来吧”,于是我就保留了下来,真是不可思议啊。做了之后,果然觉得这样做是正确的。虽然她们一直在说些琐屑的话题,但总觉得是一种很好的助跑,或者说是一种很好的靠近结局的感觉。我想这些地方应该是key作品的醍醐味之一吧。

    第23話
    監督 石原立也 コメント
    前回までで、一通りつらいことを乗り越えてハッピーエンドになったので、最後は番外編ということで、楽しいお話にしたかったんですよ。朋也と渚の出会いを描こうと思い作っていたんですが、意外や意外、振り返ってみると、杏の
    出番が多かった感じです。杏は、大活躍でした。ラストの渚にたらいが落ちるカットは、今にして思えばすごいラストカットですよね。(笑)。僕自身はやっているとき、なんの疑問も持たず大まじめにこのカットにしていましたけど……。よく考えたら。すごいラストカットだ(笑)。

    脚本 志茂文彦 コメント
    これは、keyさんが書いた小説集の中にあるものです。なぜこのお話を選んだかというと、お客さんに、次は自分たちが人生に乗り出していく番だと、振り出しに戻って考えてもらいたかったからです。秋生さんが渚に「廊下でスレ違ってるヤツの中にだって、一生の友達とか、かけがえのねえ存在になれる相手がいるかもしれねぇ」と言うセリフがあります。このセリフも、観ている人に明日からそんな気分になってもらえれば、と思って書きました。「いろいろあるけど、がんばっていこうよ」という気持ちを込めています。

    第23话
    导演石原立也评语
    因为在上集为止,克服了所有的痛苦,最终是圆满的结局。因为最后一集是番外篇,所以想讲个开心的故事。本来是想要描绘朋也和渚的相遇,但是意外而又意外的是,回顾这一集,感觉杏的出场次数很多。这集杏特别地活跃。最后盆砸在渚头上的镜头,现在想起来是很棒的最后一幕呢(笑)。我自己在做的时候,没有任何疑虑,非常认真地剪成这个镜头……。仔细想想。最后一幕的镜头真的很棒呢(笑)。

    剧本志茂文彦评语
    这集是key写的小说集里的故事。为什么要选择这个故事呢?因为我想让观众回到起点,接下来该轮到我们开始面对自己人生了。秋生对渚说过这样一句台词:“走廊上擦肩而过的人,或许就是你一辈子的朋友,或许可能是无可替代的存在啊”,这句台词也是为了让观众从明天开始就有这样的感觉而写的,包含着“虽然会经历很多,但还是要努力吧”的情感。
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