- 2021/5/31 10:12:00
彼女と分け合ったカレー1皿 ココイチの手紙で人生一変
作者: 若松真平
23歳だった若山陽一郎さんは2002年、岐阜県から上京した。
貯金もほとんどなく、幼なじみのワンルームマンションに居候したり、仲間と3人で部屋を借りたりしていた。
移動するための電車賃もなく、デパ地下の試食だけで食いつないでいた時期もあった。
そんな時、付き合っていた彼女が岐阜から会いに来てくれた。
小銭をかき集めても400円。
2人で歩いていると、牛丼の吉野家と、カレーハウスCoCo壱番屋(ココイチ)が並んでいるのを見つけた。
どちらにしようか迷ったが、彼女はカレーの方が好きだろうと思い、ココイチに入った。
メニューを見ると400円で頼めそうなのは、ポークカレーぐらいだった。
小さなプライドかもしれないが、おごらせるわけにはいかない。そう思ったから、2人で1皿を分け合うことにした。
「ポークカレーを1杯ください。2人で分けて食べます」
恥ずかしくて店員と目を合わせることができなかった。
すると、笑顔でこんな言葉が返ってきた。
「はい、ポークカレーですね。取り皿もお持ちしますね。少々お待ちください」
いっぱい注文した客への対応とまったく変わらなかったし、むしろそれ以上だと感じた。
カレーを分け合った彼女も、こんな貧乏デートでも楽しそうな顔をしてくれた。
おなかは満たされなかったが、胸はいっぱいになった。
テーブルの端に目をやると、アンケートはがきがあった。
この店員さんが上司から褒められたらいいなと思い、感謝の言葉をつづった。
すばらしかった接客について詳しく書き始めたら、自分が感じたことや身の上話まで書いてしまった。
それから約1カ月後、自宅の郵便受けにココイチからの封筒が入っていた。
開いてみると、手書きでこんな文章が記されていた。
「お客様のはがきを読み、胸が熱くなりました。自分も貧乏をしていた時代があるので、お客様の気持ちはよくわかります」
「夢を諦めないでください。くじけそうになったらまたココイチに来てください。いつでも温かいカレーを作ってお待ちしております」
書いたのは創業者の宗次(むねつぐ)徳二さんで、文末には「これは私個人の考えで送ったものです」と書かれていた。
封筒の中には手紙だけでなく、3000円分の食事券も入っていた。
2人で400円ほどしか使っていない客に対して自ら返事を書き、さらに3000円の食事券までくれる意味がわからなかった。
それから8年後の2010年。思わぬかたちで宗次さんと会うことになった。
若山さんは、電話で商品購入などを勧めるテレアポのアルバイトや、訪問販売の営業マンを経て、個人で不用品回収の仕事をしていた。
る日、愛知県一宮市に住んでいる得意先の女性と一緒に、ココイチでカレーを食べることになった。
ロースカツとホウレン草をトッピングしたカレーを口にしながら、1皿のカレーを分け合った記憶がよみがえってきた。
女性に話すと、涙を流しながら「さすが、あの宗次さんだわ」と言われた。
一宮市はココイチの本社がある地で、宗次さんは地元でも有名なのだという。
食べ終わった後、2人で訪ねた紡績会社の会長にも、カレーを分け合った話をした。
喜んでくれるかと思いきや、険しい表情で「その話の続きはないのか?」と問われた。
「君は大事なことを忘れている。なぜ、宗次さんにお礼を言わない。それだけ感謝しているのなら、一度くらい会いにいって、お礼を言うことは考えなかったのか」
会長はその場で電話をかけて、宗次さんに会えるようアポをとってくれた。
事務所に通されると、宗次さんがいた。
8年前の手紙と食事券のお礼を伝えた。きっと覚えていないだろうと思っていたが「覚えているよ、鮮明に」と言ってくれた。
手紙をもらってから、自分が歩んできた道のりを説明したら、こんな言葉をかけてくれた。
「あの時の君への3000円の投資は大成功だった。こんな形で会いにきてくれて、大いにもうかったよ。逆にありがとう」
あまりのうれしさに、「いつか宗次さんのように、若者たちに夢と希望を与えられるビッグな男になりたいと思っています」と答えてしまった。
そして、社長になった
あれから11年がたった今、42歳になった若山さんは自らが興した和愛グループの社長だ。
不用品回収やリサイクルショップを経営しながら、カンボジアに学校を作るためのボランティアや、講演活動にも取り組んでいる。
frank - 2021/6/6 12:03:00
我比较好奇他当时的那个女朋友呢= =分了吗